こんにちは、うらこです。
私は児童養護施設から里子に措置変更した後、大学へと進学しました。
今回は、その大学進学へと至った私の過程をお話していきたいと思います。
私が大学進学するまで【小・中学生時代】
あこがれを持っていた小学校時代
小学生くらいから、漠然と大学進学への憧れがありました。
特に幼稚園や小学生の頃から頻繁に施設には大学生がよく教育実習で来ていたので、大学生との関わりが凄く多く、「私も大学生になるんだろうなあ」という思いが自然にあったのだと思います。
(施設で働いている職員も、大学や専門学校、短期大学色々な人もいましたし、、、)
恐らくそれは、私が「気付いたら児童養護施設で育っていた」という感覚と、「成績優秀で、周囲から期待をされていた」という点で、自身の環境に対して素直に受け取っていられたからだと思います。
当時の夢はすでに児童相談所の職員でした。
児童養護施設という経験をしたからこそ、より自分ができる仕事だと思ったのです。
大学は文系がいいなあ、と考えていました。
中学生時代:不登校と「専門高校」への進学
私は中学生の頃不登校になっていた時期があったので、学校に行くことができるようになったころには、高校をどこにするかを決めなければならない時でした。
(不登校だった理由などについては、また別記事で詳しく書いていきたいなと思います)
大学に行きたいけれど、周りに期待されるような進学校には行きたくもないし、直近の成績は不登校だったので非常に悪い。
高校で悩んでいたところ、先生から普通科ではなく専門学校を提案されました。
大学進学を見据えるのであれば、お金がどうしても必要になってくる。
専門学校であれば、進学を見据えつつ、万が一の就職の可能性も踏まえて資格を取ることができると言われ、腑に落ちた私は専門学校に進学することに決めました。
普通科に行かなかったことで、一時は学歴コンプレックスに陥ってしまいました(泣)。
ですが今は、資格もたくさん取れたので専門高校を出ていて良かったなと思っています。
私が大学進学するまで【高校1年生】
中学卒業後すぐ措置変更に
高校に入学する前、私は児童養護施設から里親へ措置変更となりました。
措置変更の理由は、施設でトラブルを起こしたためです。
トラブルと言っても非行や暴力などではなく、思春期特有の、といったところです。
施設や児童相談所からは「あなたを守るため」ということで、先生たちに泣きながら見送られることになりました。
生活に慣れず不真面目に
18年間育ってきた施設を出て、里親の元で暮らすとなった時、生活になかなか慣れることができませんでした。
そもそも長らく育った施設を出たことでショックを受けていたこともあり、授業も真面目に聞く気がなくなってしまい、成績は下降気味でした。
里親とは言えどまだまだ打ち解けることもできず、気を遣う生活だったので心身ともに疲れた状態になってしまいました。
就職を提案される
大学への進学は諦めていなかったので、まずはどんな大学があるのかを知ろうとパンフレットを大量に集めていたところ、高校の先生に呼び出され、「進学は諦めなさい。就職した方が良い」と言われます。
お金のことでどうしても難しいと話す先生でしたが、ずっとずっと進学を夢見ていた私としては大ショックでした。
どうして私だけが、お金のことで悩まなきゃならないのか。
どうして私だけが、皆が普通に考えられる進学ができないのか。
その理不尽さに一時は全てのやる気を無くしてしまいました。
里親もその先生の言葉を鵜呑みにし「先生が言っているんだから、諦めましょう」と言われ、反発が始まるようになりました。
アルバイトを始めるように
なんと言われても諦めたくなかった私は、アルバイトを始めるようになりました。
アルバイトを始めるにあたっても、成績回復を待ってからではないと学校から許可をされなかったので始めるのが少し遅くなり、学校に無断でバイトをしている友達を羨ましく思いました。
初めて貰った給料は81000円。
時給700円にも満たなかったなりで頑張って、自分の稼いだ大金に感動したのを覚えています。
問題視されているお金について、見返してやる第一歩になりました。
私が大学進学するまで【高校2年生】
看護師の提案
私が進学を諦めない姿勢を知った学校の先生にまたしても呼び出され、
「看護師にならないか」と提案をされました。
看護学校の学費であればかなり抑えられることや、私の生い立ちからの看護師適性を見てくれたのです。
私が断固として「就職はしない」と言っていたことから、進学の方面で新たに考えてくれたのはとても嬉しかったです。
ただ、私が看護に興味がなかったことと、自分の母親などの死から、死と対面せざるを得ない看護師の職は自分には耐えることができないと感じ、断りました。
また、児童養護施設などの出身者に支援をする福祉大学なども提案されましたが、福祉より興味があるものがあったため、これも断りました。
進学先を絞り始める
看護ではなく、私が興味を持っていたのはマスコミ・経済でした。
児童相談所の指導員になりたいと思う気持ちが、社会的擁護を受ける人々や、そのほか色々な貧困や経済問題で苦しむ人の現状や問題をみんなに知ってほしいと言う気持ちに変わっていったからです。
そこでマスコミや経済に近しい学部学科のある大学・専門学校を中心に探し、初めて行きたい大学が具体的に見えるようになったのは高校2年生の秋頃でした。
その後、大学で学ぶうちに報道系は自分の思ったことがダイレクトに伝えられないもどかしさを知りました。
そして、今の時代だからこそ伝えられるインターネットでの表現手法について学ぶようになり、IT会社への就職とブログ開設に至るわけです。
里親との仲の悪さもピークに・葛藤から自傷行為が進む
里親との仲の悪さは、高校3年間で多分ここらあたりが一番悪かったのではないかと思います。
それは進学の問題に対して反発する面もありましたが、私が里子としてうまく暮らせなかったことや、里親自身の適性の問題もありました。
進学でのお金の苛立ちと、里親との苛立ちから心は常に安定していなく、落ち着かせるためにカッターナイフで自分の腕を切りつけたり様々な自傷行為を行いました。
里親との不仲については、また別で詳しく記事を書いていきたいと思います、、、
同じ施設の子や学校の友達が進学を諦めていく
私がいた施設の高校生の子の中には、進学をしたかったのにお金の問題で諦めてしまった友達がいました。
私は「一緒に進学しよう!頑張ろう!」と声を掛けたり、進学できるようプランを組んだりと何か力になれないかとしたのですが、「私はそんなに頑張れない」と言われてしまいました。
施設でなくとも、学校の友達で進学希望だった母子家庭の子も、家庭の事情から進学を諦めました。
そうやって周囲の友達が可能性を諦めざるを得ない状況が、悔しくて悔しくてたまりませんでした。
私が大学進学するまで【高校3年生】
夜間大学への進学を決定
行きたい大学は候補がいくつかありましたが、どれもやはり授業料が高く悩んでいたところ、学校の先生から夜間部を勧められました。
(呼び出しが多すぎる)
当初は夜間部に抵抗がありました。「イレギュラーな学び方」だからこそ、自分が普通でないことを改めて認識してしまいそうになるからです。
しかし、調べれば調べるほど、昼間部より学費が安かったり様々な人が学んでいる点に魅力を感じ、夜間大学に最終決定しました。
学校の先生、里親、児童相談所の職員全員が、この決定に納得をしてくれました。
アルバイトで約140万円を達成
一方、高校1年生からコツコツとアルバイトで貯金をした額は、140万円を到達することができました。
社会人の私がびっくりするほどの額です。
毎月、稼いだ額のほとんどを貯金に回し、土日や連休、年末年始やクリスマスも返上して働いたおかげでした。
反面、友達と遊ぶ高校生活というのはあまりなかったのはすごく後悔しています。
140万円あれば、夜間大学の初年度の学費は十分に払える額で、受験費用や受験にかかる遠征費、引越し代も含めて賄えるくらいでした。
大学2年生からは奨学金とアルバイト合わせて毎月19万円で、なんとかできるとシミュレーションを立てました。
受験、合格。
そして受験をし、無事に合格することができました。
受験料の問題で併願もせずに1本勝負で行ったので、受かっていなかったらどうしようという不安は持っていましたが、合格の文字を見て本当に胸を撫でおろしました。
ホッとしたからか熱が出てしまい数日間寝込んでしまうほど。
学校の先生には手紙と電話を届けて合格を伝え、お祝いしていただきました。
学費の支払いも終わり、賃貸の契約をし、卒業式には学校の先生と抱き合って号泣し、
そしてとうとう晴れて春。
大学の門をくぐることができました。
まとめ:進学するのにも苦労がついて回った
今回は時系列に沿って私の大学進学ヒストリーをお伝えしましたが、
要点を絞ると結局、私が大学に進学できたのは
- 元々勉強ができる方だった
- 元々コミュニケーションが取りやすい性格だった
という基盤の上で、
- 情報収集をしまくった
- アルバイトでお金を貯めまくった
- 反対していた周囲が協力してくれるようになった
- 実親と疎遠で進路に対しての干渉がなかった
という要素が重なったからだと思います。
努力以前に恵まれた能力や環境があったというのは、認めざるを得ないです。
ただ、私が実際大学進学をしてみて、本当にこれだけ揃った上で苦労しないとできない現実というのは厳しいものがありました。
結果として進学はできましたが、プロセスを見たら思春期どころではない負の感情でした。
どれだけ泣いて、どれだけ自分を傷つけたか覚えていられないほどです。
こんなものを「進学できた児童養護施設児の美談・成功談」としてなんて、扱って欲しくないし「あの子ができたんだから君もできるよ!」なんて言って欲しくないです。
だからこそ、近年支援体制が充実してきたことは、昔の自分を救ってやれているようでとても嬉しいです。
元々勉強が得意じゃない子どもにも、もっと進学を身近にすることができれば、きっともう少し進路を選択できる自由が与えられると思います。
最近の支援制度や進学問題についてはこちらの記事を読んでみてください。
どうか、もし身近に大学進学をしたい社会的養護下の子供がいる人は、その考えを否定せずに、めいっぱい味方になってあげてください。
どうか、もしあなたが大学進学をしたいと思っている人であれば、こうはならないでください。今はもう少し、大丈夫はなずです。
そして、高校時代の私。
苦労させて本当に申し訳ない。その苦労の上で私は大学に行くことができ、こうしてブログを書けています。これからの人たちに繋げられるよう、どうか任せてください。